渋沢栄一と竹中平蔵 醜い共通点
大河ドラマ『青天を衝け』の影響で渋沢栄一が時ならぬブームとなっています。しかし、渋沢は大河ドラマが題材にするような立派な人物ではありません。偉人のように思われていますが、その本質はパソナ会長の竹中平蔵そっくりの「政商」だからです。
取材・文/編集部 (『実話BUNKAタブー』2021年8月号掲載)
日本の資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一の生涯を描くNHK大河ドラマ『青天を衝け』は、舞台が渋沢の故郷である埼玉のど田舎から幕末の京へと移り、いよいよ物語が本格的に動き出します。渋沢ファンの中高年はテレビの前で胸を躍らせていることでしょう。
それにしても、大河に加えて刷新される新1万円札の顔にもなったりと、いまやちょっとした渋沢ブームですが、正直いって渋沢栄一がもてはやされる理由がさっぱりわかりません。なぜなら、渋沢は多くの人が想像しているような立派な人間ではないからです。
たとえば、渋沢栄一と聞いて真っ先に思い浮かぶのが大正12年(1923年)に関東大震災が起きたときの天罰発言です。約10
万人の人々が亡くなったというのに、渋沢は「天が国民を諌めるために震災を起こした」などとひどいことを言い放っているんですよ。
震災時にこんなイカれた発言をした著名人は、渋沢栄一のほかには東日本大震災のときの石原慎太郎と阪神淡路大震災のときのカダフィ大佐の2人しかいません。つまり渋沢は、問題発言の申し子である石原慎太郎や「中東の狂犬」と呼ばれたリビアのカダフィ大佐と同レベルのトンデモということになるわけです。
発言の背景にあったのは大正デモクラシーです。当時の日本では藩閥政治からの脱却により中間層の民衆が誕生しました。彼らが浮かれて遊び呆ける姿を年老いた渋沢栄一は苦々しく思い、それが天罰発言につながったとされています。
しかし、日本が近代化へと突き進む過程で誰よりも派手に遊びまくっていたのは、資本家としてボロ儲けしていた渋沢栄一自身なんですよ。じつは、渋沢は芸者や遊女を買って遊ぶのが何よりも好きで、当時の花柳界で1、2を争うくらい女遊びに金を使いまくることで有名だったんです。
実際、渋沢栄一には20人の子どもがいましたが、その母親の大半は妾でした。複数の妾を囲うだけでなく、女中にまで手を出していたそうですから、その性欲は尋常ではありません。
渋沢栄一は経済界に『論語』の道徳的規範を求めたことでも知られますが、渋沢の妻は「『論語』とはうまいものを見つけたよ。邪淫を禁じる『聖書』だったらあの人は守れっこない」と呆れていたほどです。
もっとも、妾ぐらいなら現代と近代では時代が違うのひと言で済みますが、話はそれだけでは終わりません。むしろ、何よりも渋沢が問題なのは「日本資本主義の父」とされるその渋沢ビジネスの正体です。
じつは、渋沢の商売のやり方は、パソナグループ会長であり、菅首相のブレーンもつとめる竹中平蔵とそっくりなんですよ。2人に共通するのは国策に深く関わってボロ儲けしていること。つまり「政商」です。
政商で成り上がった渋沢と竹中
政商とは、政府と結びついて巨万の富を築いた明治初期の特権的商人のことです。日本に資本主義が生まれた幕末から明治にかけての維新期には、三井財閥の三野村利左衛門や三菱財閥の岩崎弥太郎など、のちに一大コンツェルンを築き上げる商人が新政府の便宜によって大儲けしました。あれが典型的な政商です。
しかし、政商が明治初期にしか存在しなかったかといえばけっしてそんなことはなく、現代にも政治家とベッタベタに癒着して儲ける利権屋の商人は少なくありません。その筆頭がほかでもない竹中平蔵です。竹中平蔵は表向き経済学者を名乗っていますが、それは形式的な肩書にすぎず、その本業は明治初期の特権的商人そのものです。
たとえば、竹中は小泉政権時代に経済財政担当大臣として派遣労働の規制を全面的に撤廃し、格差社会を招いたことで有名ですが、それによってボロ儲けした人材派遣大手のパソナグループの会長に収まっています。同じく竹中がスキームをつくった郵政改革で「かんぽの宿」を格安で手に入れて大儲けしたオリックスも、その後竹中を社外取締役として手厚く迎え入れています。
さらに、竹中は小泉政権時代に密接な関係になった菅首相にも東京五輪からコロナ対策まであらゆる分野でアドバイスを行っているんですが、その結果、持続化給付金の事務手続き業務をパソナが受注し、東京五輪の競技会場や選手村といった大会の運営業務もほぼパソナ1社に委託されることになったわけです。
ちなみに、防衛省が運営するワクチン接種センターの予約システムを手がけた企業の経営顧問も竹中です。つまり、竹中の提言で政府が何かの政策を打ち出すとその先には必ず竹中が深く関係する企業の利益があるんですよ。国策に最初から密接に関わり、その国の事業によって自分の懐に大金が転がり込む仕組みです。
そして、こうした我田引水そのものといえる薄汚い商売のやり方は渋沢栄一もまったく同じなんです。
知っている人も多いと思いますが、渋沢栄一はその生涯で、東京海上火災、王子製紙、東京ガス、清水建設、帝国ホテルなど、500社あまりの企業の創業に関わっています。古河、大倉、浅野と、こうした新興企業グループも渋沢が世に送り出したものでした。
三井家や岩崎家の財閥と違い、渋沢栄一は息のかかった企業に自分の子どもを送り込んで支配したわけではありませんが、これらの企業群はほとんど「渋沢財閥」といえるものです。
渋沢栄一がこれだけ商売を拡大できたのは、日本初の商業銀行である第一国立銀行(現在のみずほ銀行)を創立し、自ら頭取をつとめたからです。新しい産業の育成に銀行が大きな役割をはたすのは、現代も近代も変わらないんですよ。
だとすると、なぜ渋沢栄一は銀行を設立することができたのでしょうか。それは新政府で近代的な金融システムをつくり、米国の銀行制度をモデルに国立銀行条例を制定した黒幕こそ、渋沢自身だったからです。つまり、銀行設立という国策のスキームをつくった本人が、そのトップとして銀行に天下ってボロ儲けしたわけですよ。これはほぼ竹中と同じやり口です。渋沢は政商として財を成した薄汚い商人だったんです。
大蔵省人脈を特権的商売に利用
そもそも、渋沢栄一と竹中平蔵はともに特権階級の閨閥とはまるで縁のない家の出身です。大河ドラマで描かれた通り、渋沢栄一は埼玉の農家の出身で、竹中が生まれたのも和歌山市内の履物屋にすぎません。
その2人が政府中枢に深く入り込み、政商としてボロ儲けすることができた裏には共通する理由があります。それは「海外仕込みの最先端の知識」と「財務省(大蔵省)人脈」です。渋沢栄一と竹中平蔵は、ともにこの2つを武器に政商に成り上がったんですよ。
いつの時代でも、政治家というのはビジョンや調整能力が問われる仕事で、専門的な知識があるわけでも物事のスキームをつくれるわけでもありません。そこで必要となるのが政策を立案する能力と実務能力をもつブレーンの存在です。
渋沢栄一は京で一橋慶喜(徳川慶喜)の腹心と知り合って幕臣となり、パリ万博使節団の一員として西欧で資本主義を徹底的に研究します。その知識に目をつけて大蔵官僚にスカウトしたのが大蔵卿(現在の財務大臣)の大隈重信でした。前述の国立銀行条例はこの大蔵官僚時代につくったものです。そして最終的に渋沢は政府内で大蔵大臣に出世するのでははなく、政府の国策に乗じて儲けることを選択したわけです。
竹中平蔵の場合、新卒で就職した日本開発銀行時代に米国に留学し、ハーバード大の客員研究員として行った研究が認められて大蔵省に出向したのが始まりです。このときの米国留学で学び、のちの構造改革に生かされる理論が大蔵省の大物官僚の目に止まり、この官僚を通じて小泉純一郎をはじめとする政界人脈を広げていきました。
財務省(大蔵省)は日本の経済・金融政策の中心的存在です。第二次安倍政権を除けば、首相のブレーン役となる首相補佐官や秘書官といった官邸官僚もつねに財務省出身者でした。
旧大蔵省では1990年代後半に汚職スキャンダルやノーパンしゃぶしゃぶ事件が続き、それをきっかけに金融庁と分離されて現在の財務省になったんですが、不祥事が多いのはそれだけ大蔵省が力を持っていた証拠です。大蔵官僚と知り合いになればオイシイ思いができるからこそ、怪しげなバブル紳士がわんさか群がってきたんですよ。
それは明治初期も変わりません。渋沢栄一が大蔵官僚だったとき、予算の陳情のために西郷隆盛が自宅を訪ねてきたんですが、渋沢は政府高官だった西郷の間違いを指摘して叱り飛ばしているんですよ。それほど大蔵官僚というのは絶大な力をもっているんです。
渋沢栄一も竹中平蔵も大蔵省時代に政府や大物政治家との人的ネットワークをつくり、その人脈を退官後に活用することで政商となり得たんです。大蔵省という看板がなければ、国策に乗じて儲けることはなかなかできるものではありません。その意味でもこの2人は本当にそっくりです。
冷酷すぎる渋沢と竹中の人間性
さらに、もうひとつ2人の共通点を挙げるなら、それは渋沢栄一も竹中平蔵もびっくりするほど冷酷な人間ということでしょう。
冒頭で関東大震災が起きたときに渋沢栄一が大正デモクラシーへの反発から天罰だと発言したのを紹介しました。石原慎太郎も同じなんですが、大災害の発生時は社会の欠陥が露わになりがちなので、保守的思想の持ち主は国家権力の強化を言い出すものなんですよ。国家の利益のためなら10万人の命を天罰のひと言で切って捨ててしまうんです。
渋沢栄一は道徳的だとか立派な人間だとか語られていますが、じつは金や国家の前には個人の生活や命など虫けら程度にしか考えていなかったわけです。
竹中平蔵はもっとたちが悪いかもしれません。もともと「みなさんは貧しくなる自由がある」「首を切れない社員なんて雇えない」などと言い放つタイプでしたが、驚いたのは竹中が立案したといわれているパソナの「キャリア形成プログラム」という代物です。
これはコロナによって就職が困難になった学生を本社を移転した兵庫県淡路島に集め、週30時間労働、月17万円の2年契約で雇用するというものなんですが、仕事は玉ねぎ農場や周辺の建設現場での労働、さらに清掃に配達と、どこがキャリア形成なんだよというとんでもない内容なんです。
しかも寮費と食費で月8万円が天引きされ、研修実費として月2万8000円がかかるので、税金その他を引くと契約社員の手元にはわずかな金額しか残りません。冗談抜きで携帯電話代を支払ったら島から脱走するための資金さえ残らないんです。まさしく「奴隷労働」そのものです。
竹中はこれを「日本に必要な福祉施設」と言い張っているんですよ。ここまで血の通わない冷酷な人間も滅多にいないでしょう。
そう考えると、渋沢栄一を大河ドラマの題材にしたのはネタが切れたためとしか思えません。「渋沢栄一」を「竹中平蔵」に置き換えてみれば、いかにこれがとんでもないドラマになるかがよくわかるはずです。本当に世も末って感じです。
